Klaviersonate Tempest:
「テンペスト」
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Sonate für Klavier Nr.17 d-Moll Op.31-2
Ludwig van Beethoven Pf. Claudio Arrau
ピアノソナタ第17番ニ短調 作品31-2 「テンペスト」
Konzert für Klavier und Orchester a-Moll Op.54
Robert Schumann
Pf. Arturo Benedetti Michelangeli
「ピアノ協奏曲 イ短調」(ローベルト・シューマン) (1841)
「テンペスト」 Klaviersonate “Tempest” COROMICO
(「再出発への道」 後編) Il sentiero per la nuova partenza (seconda parte)
「書くこと、自分自身を書くこと。
何千年も前から、そして文学が誕生して以来、問いは常に同一です。
自分自身について語るには自分自身を探さなければならない。
だがそれは存在しない」 (アントニオ・タブッキ 『いつも手遅れ』)
カフェでの悲惨な出来事をいったん忘れ、再びアートフリーマーケットへの準備をはじめたものの、しばらくの間、わたしの頭は真っ白になっていて苦しむことに
なります。
今回のことがショックすぎて、しばらくは何も考えることができずに、外に出て
美しいものに触れても、ぼんやりとしか何かを感じることができずに苦しい日々を
過ごしていました。
ローマ時代の哲学者、セネカの言葉にこのようなものがあります。
「何を目にしても、耳にしても、味気なくしか感じられない?
それは無理もない。 君の心の中が腐っているからね。
胃の腑の中が腐っている時には、高価なごちそうを食べても腐った味しかせずに
苦しむものだ。
それと同じように、自分の心の中が腐っている時には、目にするもの、耳にする
もの、何もかもが心に入ったとたんに腐ったように感じられるのだ」 と。
どこに行っても生きたまま埋葬されたような気分のまま、あちこちはい回る
わたしの心の中で、ネロに無理矢理自殺させられたあの、禁欲主義の哲学者の
言葉が何度もこだましました…。
わたしは、今まで、何かものをつくる時には、澄んだ自由な心が一番大切だと思ってきました。 絵を描く時にも写真を撮る時にも…。
たとえて言えば、ベートーヴェンではなく、モーツァルト。バッハではなく、ハイドンやヘンデル。 ブラームスではなく、若い頃のシューマンやショパンというように……。
怒りに呻吟したり苦悩する心からではなく、いつでも子供のように自由に、
天衣無縫で無邪気な気持ちで対象に触れ、その浮き立つようなよろこびの中で
感じ取った驚きや感動を、素直にそのまま現していきたいと思っていました…。
バロックやロココ時代のアリアのように、天上の雲の間をふわふわと漂い、
中性的な高い声で軽々とコロラトゥーラを歌うような、そんな気持ちでいつも表現と向き合っていたいと思っていました。
そして、どこかからふわふわとやってくるひらめきや感覚のようなものを
キャッチして、それをなるべく忠実に、自分勝手に形をゆがめたり変えたりしないでそのままの美しさのままで形を与える、ということが自分の仕事なのだと
思っていました。
逆に言えば、そのやり方しか知らなくて、もしかしたらどこかで、その逆のこと――人間的な苦悩や苦痛の呻きの中から、じりじりと、我が身を削るようにそれと
向き合って、自分の醜さも残酷さや狡猾さも全てさらけ出して表現にぶつけていく、ということを、恐ろしく思って避けてきたのかもしれませんでした……。
心がいつも朗らかで、無邪気だからこそ、この感覚やひらめきが与えられているのであって、もし、一度でも怒りや苦悩で心が濁ってしまったりしたら、もう全てが
終わりだ、と思っているところさえありました。
そんなわたしは、いざ、苦悩するような段になって、今まで無尽蔵に感じられて
いた無邪気な驚きや感動やひらめきや、きらきらした色彩や輝きが見えなくなって
しまい、手も足も出なくなってしまったのでした…。
失意のまま家にもどったわたしは、ゲルバーさんの弾くベートーヴェンの『悲愴』を聴きながら、どうにかその時の感覚を呼び戻そうとしました。
冷たい涙を流しながらふとんの中で丸まっていると、ゲルバーさんがあの時、
身を乗り出しながら指導していた言葉が心によみがえってきました。
第一楽章――ある日、突然、運命的な打撃が訪れる。 疾走する苦悩。
圧倒的な力を持った恐ろしい魔物が地平線から顔を出し、彼を飲み込もうとする。
彼―もう一人のベートーヴェンは血を流し、傷つき、それでも勇敢に戦いを挑むが、経験したことのないような事態に直面して、恐れにのみこまれそうになる。
血管の中を駆けめぐっていくような不安と苦悩の中で、何とか自分の歌を
探そうとして呻吟するが運命の速さに追いつかれて打ちのめされる。
第二楽章――いったん運命の打撃は遠のき、彼はそれを遠くから回想する。
静かで瞑想的な心境の中で、遠ざかっていったいくつもの思い出が交錯する。
苦い回想を伴う愛の思い出も、今はいくぶん甘いものとしてよみがえってくる。
その中で、優しく、しかし確かに彼を呼び覚ます声が響き渡る。
古い傷を思い出して、静かにすすり泣くような内省の時がいくばくか過ぎていく。
静寂の中で自分と深く向き合った彼は、過去の苦悩を思い出して、それに立ち向かっていくことを決意する。もはや逃避ではない静寂の中で、いっそう高らかに彼のメロディが響きわたる。
第三楽章――嵐の時と苦悩の日々を経て、彼はついに自分の歌を獲得する。
過去の苦悩によって色濃く刻印されてはいるが、苦しみを乗り越えた彼は、もはやそれにとらわれない、自由な心境で軽やかに自分の歌を歌う。
彼の心に、時に過ぎた日の苦悩の思い出が去来するが、もう少しもそれに犯されることはない。
一点の濁りも曇りもない、天に与えられた天上のメロディではないが、極めて
人間的な苦悩と勝利のよろこびを、人間として生きていることの讃美と歓喜を
込めて力強く、そして自由に歌い続ける。
そこまで思い出すと、もう横になっていられなくて、電気もつけずに起きあがると、まだ夜中だったのでベッドの横に積んであった本が落ちてきて足の親指の爪に
当たりました。
涙をこらえながら本を拾うと、そこにはこう書いてありました。
「魂が激しく動揺している場合には、もちろんいかなる幸運な成果も期待できない
とはいえ、その動揺を静めてから表現の研究に力を費やせば、常に顕著な成果を得られるのです。
決して、明敏な頭脳の前に、新しい探求の道が閉ざされることはないでしょう。
だから悲観するには及びません。
われわれの努力は無意味に終わりはしないでしょう。
いつか世界が老い朽ちて、その終末まぎわに生を受ける人たち、その人たちの
努力さえも無駄ではないでしょう。」
(フランチェスコ・ペトラルカ 『親近書簡集 1巻9)
その言葉を読んで、思い出しました。
過去に自分が本当に失意のどん底にあった頃、この言葉に出会ったことを…。
その頃は、今の状態など比にならないほど何も感じることも考えることもできず…、この先、自分ができることなど何もないと思っていました。
というより、ある事故にあって全ての記憶も概念も言葉も感覚も
解体してしまって、「自分」というものをまとまった存在として感じることさえ
できませんでした。
それまで親しくしていた人たちも、わたしを見ると不気味なものを見るように顔を
そむけ、家族もわたしを存在しないものとして扱い、「生まれてこなければ
よかったのに」と言いました。
それでも、生きていたいと思い、かろうじてでも、ほんのわずかなことでも、自分ができることを探しました。
そんな時期にわたしは絵を描くことを始め、写真を撮ることを始めました…。
たとえ自分という存在を連続体としてとらえることのできる言語や記憶を失って
しまっているのだとしても、今、自分の感覚が感じているものは、まぎれもなくこの
自分自身であって、それは手首の脈やどくどくいう心臓と同じように、誰にも
奪えない、自分だけの時間であり、自分だけの瞬間だと気づいたからです。
たとえ何もできなくなっても、何かに触れ、何かを感じることだけはできる、
それは自由なのだ、と…。
それから、体が少し動くようになってから、よろめきながら町へ出て、自分の
感じ取ることができるものを探しに行きました…。
散り散りになって失われた自分の断片を一つ一つ拾い集めに行くように……。
過去の自分は一つ残らず失われたのだとしても、一つでも、二つでも、何かを
感じることができれば、今、ここから、この瞬間から一つずつ新しく、土台から
自分という“まとまり”をつくっていけるのではないかと思ったからです。
その頃、感じられた世界のことは今でも忘れられません。
観念や概念、連続性の失われた世界に、何も持たずに投げ出されたような
気分で飛び込んでいったわたしに対して、身の回りの風景たちは、ふだん、忙しく
歩いている普通の人たちには見せない、むきだしの、あるがままの顔を
向けてくれました。
時には優しく、時には残酷に心を刺すような、鮮烈で生々しい感覚を伴って心に押し寄せてくる、圧倒的な情報量と町という空間にある全てのもののあるがままの重量感、存在感に心がついていかなくて、夜もうなされるような日々の中で、
それでも、一つ一つが語りかけてくるように思える言葉や詩や歌がはっきりと
耳に聞こえているような気がしていました…。
たとえ人が覚えていなくても、都市にある建物や壁や郵便ポストの一つ一つは
それぞれに刻印された時を持ち、それぞれが過ごした記憶、見てきた人々の
移り変わりや町の記憶をとどめているように思えました…。
エジプトの神話に、月の女神、イシスは夫、オシリスのばらばらになって
ナイル川に流された遺骸を泣きながらひとかけらひとかけら拾い集め、
何年もかかってついにオシリスを復活させたといいます。
または、死んだエウリディーチェの姿を求めて冥府にくだった
オルフェーオのように、わたしも観念の解体した世界を死んだように
さまよいながら、失われた自分自身のかけらを拾い集める旅に出ました…。
かつて自分が行ったはずの場所を再び訪れたのに、何一つ思い出せなくて
失意にくれたり、その逆に一度も行ったことのない場所を歩いているうちに、
かつて、自分が感じたかもしれない何か懐かしい感覚が胸のうちに
よみがえってくることもありました。
そんな日々を送るうちに、ある日突然、心の中に、あることばが種のように
落ちてきました…。
自分がかつて文学研究、そして文学表現の道を深く志していたこと、そして、
それは、対象と深く、自分の存在と人生をかけて向き合って生きるということ――。
それは、明るく優しい表面上の自分だけではとうてい終わる作業ではなく、もっと深く降りていって、自分の内面や傷や醜い部分もさらけ出して対面し、そうして
はじめて、少しずつできるのだということ――。
牛歩のようにじれったいほどに遅く、一歩一歩苦痛を伴う歩みではあるけれども、そこから逃げずに向き合い続けたら、何かが徐々に見えてくる…。
それは、対象としている作品や作者とともに自分自身をも発見し、ともに
生長していける、とても素晴らしい道ではないか、と思ったこと――。
過去を振り返ってみて、そのことを思い出したわたしは、急いでカメラを
しまいこんであった場所に行って注意深くそれを取り出しました。
ペンタくんと呼んでいる大切なカメラが、少しまぶしそうにわたしの方を
見ていました。
夜明けの前の青っぽい光の中で立ちすくみながら、改めて、考えました。
文学研究を志していたわたしが考えていたことは、写真や絵画を通して
表現をしたいと思ったわたしが思うこととまた同じではないだろうか、と……。
わたしが文章だけでなく、写真などの映像表現にこだわるのは、言葉を失った人、文章を読むほどの気力をも失って意気阻喪している人にも触れることのできる
何かを届けたいと思ったからです。
ホームページを通して、映像だけでなく、同時に音楽を、と思ったのは、視力を失った人にも、心に感じられうる何かの表現をしたいと思ったからでした…。
そして、そんなつらい状況にある人にとって、五感のうちの何かを通して心に
触れる何かやその体験というものが、切実に必要とされているのではないか、と思ったからです。 かつてのわたしのように……。
そんなことを願って、少しずつ、写真をポストカードにして作り始め、やがて、それを持って展示の場に出る、ということを始めました…。
それでも、醜さや残酷さをも含めた自分自身の内面と深く向き合うということが
どうしてもできなくて、また、そんな心地よくないものを表現として現してしまって
いいのかという葛藤がずっとありました。
池や湖の水が静かに澄み渡り、その水面に美しい風景が反射して映るように…。
そして、水中の泥や雑多な夾雑物は深く水底に沈み、表面に浮かぶ、濾過された美しく心地よい上澄みだけをお届けするのが自分の役割だと思っていました。
だから、自分の心が怒りや苦悩などで一度濁ってしまえば、もう二度と
泡沫のような美しい上澄みをすくうことはできなくなってしまうのではないかと
ずっと恐れていたのですが、もしかしたらそうではなかったのかもしれない、と
思うようになりました…。
美しい泡は険しい岩礁と、そこに激突する激しい海の波から生み出されます。
苦悩や苦境を通っても、濁らされずに、むしろ厳しい困難な経験に濾過され、
鍛えられて澄み切った表現が、むしろ、最初から一点の曇りも汚れも知らない
無邪気なものよりも、心を打つこともあるのではないか、と思いました。
そんなことを考えているうちに朝が来て、あわてて外に飛び出しました。
アートフリーマーケットの会場に間に合うように着くために……。
恐れずに深いところまで降りていって自分の内面と向き合うこと、自分が触れた
風景の美しさや感動を最大限に表現できるように誠実に、全力を尽くすこと――
今の自分にできることはそれだけですが、それでも、今の自分にできる最善を
尽くして、不完全でもその成果を少しでも多くの人に見てもらえたら、と
思ったからです…。