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Kinderszenen: 見知らぬ国から

  作曲家ローベルト・シューマンは、20代で深い恋に落ちた時、子供の頃の

夢見る気持ちにかえり、幼い子供が、まだ行ったことのない異国に憧れたり、

空想の世界にふける様子を描いた小さな曲を作りました。

 大人になってから見てみると、子供の頃の自分が生きていた世界は、

ちょっとした異国のような、おとぎ話や想像力に満ちたふしぎな別の世界の

ように思われるからかもしれません…。

 

 日本にいても、時として、ある瞬間やある情景を目にした時、強い

異国情緒を感じたり、自分がどこか別の国を旅している旅行者のように

感じることがあります…。

 このページでは、そんなふしぎな情景を集めました。

 夢見がちな小さな子供の頃にかえった気分で、ちょっと空想しながら

のぞいてみて下さい。

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Kinderszenen (op.15)Rpbert Schumann  pf.: Martha Argerich

 「子供の情景」 ローベルト・シューマン (1838)

 

Ⅰ.  "Von fremden Landern und Menchen"  :  見知らぬ国と人々について

Ⅱ.  "Curiose Geschichte" : ふしぎなお話 

Ⅲ. "Hasche-Mann" : おいかけっこ  

Ⅳ.  "Bittendes Kind" : おねだり 

Ⅴ. "Gluskes genug"  :  幸せいっぱい

Ⅵ. "Wichtige Begebeheit" : 重大な出来事 

Ⅶ.  "Traumerai"  :  夢の中で

Ⅷ.  "Am Camin"  : 暖炉のそばで  

Ⅸ.   "Ritter vom Steckenpferd"  : 木馬の騎士

Ⅹ.   "Fast zu ernst"  : むきになって

XI.  "Furchtenmachen"  : 怖がらせ

XII.   "Kind im Einschlummern"  : 眠っている子供

XIII.   "Der Dichter spricht"  : 詩人は語る

 

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「マルコ・ポーロと夢みる都市」                     COROMICO

 

 ローベルト・シューマンの「こどもの情景」が、実は彼が若い頃、まだ結婚も

しておらず、子供を持ったこともない頃に書かれた曲だと聞いて、小さい頃、

少しびっくりしました…。

 若い父親が、無邪気に遊びまわる小さな子供たちを見て微笑みながら、自分の

子供時代を懐かしみながら書いた曲だとずっと思っていたからです。

 

 でも、この曲を書いた頃のシューマンの年齢(27歳)に近づいてくるにつれて、

その曲を書いた彼の気持ちがだんだん想像できるような気がしてきました…。

 深い恋に落ちてはじめて、自分がまだ子供だった頃の気分、思い描いていた夢や空想の世界を思い出す感じや、子供の頃に比べて今の自分自身のいる世界は

こんなに遠く隔たってしまった、と少し痛みを伴いながら回想する感覚、海の向こうの世界のように子供の頃の世界を向こう岸から眺め、思いをはせるその感じ……。

 ちいさかった頃には、世界はあんなに広大で不思議に満ちていて、果てしなく

見えていたのに、今では驚きや発見もなく、自分の作ってしまった小さな世界の

中で、ただ言葉や知識や概念だけで何もかもわかったふりをして生きてしまっていると気づいた時の心の痛み…。

 

 たぶん、内気で知的な人にとってはなおさら、深い恋に落ちた時の感覚というのは自分がこれまで得てきた知識や概念では計り知れない、異国の地に飛び込むような体験なのだと思います。

 そんな感情が揺すぶられるような体験を通して、これまで忘れていた子供時代の、世界が新鮮だった頃の感覚がよみがえってくるというのは、何だかとてもしあわせなことなんじゃないかなと思いました…。

 

 激しい恋に落ちることが異国への旅に似ているのだとしたら、旅することもまた、

恋することに似ていると言えるのかもしれません。

 少なくとも、わたしの場合はそうでした。

 高校の時に中世、ルネサンスの時代のイタリア、そして古代ギリシャ、ローマの

文学と文化に初めてふれて、強い憧れを抱きはじめた頃、どこにいても、そのかけらを感じ取りたくて、どんなに小さなもの、どんなに微かなサインでも見逃したくなくて、いつでも全身の神経をそこに集中させていました…。

 

 たとえば、きれいに作られた花壇の中に置かれた小さな彫像や、花瓶や陶器のちょっとした装飾の中にギリシャ神話のアモールやアポッロの微笑み、踊る

プシュケーの恥ずかしげにうつむく姿を見て感動したり、いつもよく行く川に、

夜明け前から自転車で走っていって、「まるでガンジス川の夜明けみたいだ…」と

心打たれて、「陽はすでにガンジス川から(Gia' il sole dal Gange)」という歌を

こっそり歌ったり……。

 また、よく行く神社の神苑の中に沈む夕日を「アンコール遺跡の夕暮れ」と

名付けて、「今日はちょっとカンボジアに行ってくる」といって張り切って出かけたり

していました。

 本をぱっと開いて、自分の熱愛する古代ローマの英雄の名前や詩人の名前、

ルネサンス関係の言葉が出てくるかどうかという賭けをしてみたり…。

 

 今から思うとはずかしい話ですが、まだ一度も海外に行ったことのない、

おさなかった頃、そんな風に自分のいる場所にあるものの一つ一つから、まだ

見たことのない異国の風景に憧れて、そのイメージを抽出するという遊びに夢中になっていました…。

そんな時、ある言葉を読んではっとしました。


「近代の都市はオリジナルを夢見ながら、にせものを精魂込めて育ててきた。
私たちの周囲にあるものの大半は本物の夢を見るにせものに過ぎない。」

                  (『アンコール文明への旅』 波多野直樹)

 

 つまり近代の日本の都市にあるものは、「イギリス風」とか「清王朝風」とか

「インド風」とか、少しでも安価で手軽に、あるイメージを体験した気分になれる

ように、と作られたレプリカや映画のセットのようなものであって、本物の重みと

手触りはない、という厳しい指摘でした…。

 

 また、こんなこともありました。

 ルーヴル美術館展が京都で開催された時、すっかり興奮してにこにこした

表情のまま、大学のイタリア語教師の先生に「見に行きましたか」と聞いたところ、

こう言われました…。

 「行かない。なぜなら、わたしはパリで本物を見てきたから」と。

「ありえない」というような、とても冷然とした表情でした……。

 

 そんなかなしい出来事が何度かあってから、わたしも日本にあるいろいろな断片を追いかけてイメージをふくらませているだけでなく、実際の土地にいって、本物を見てみたいと思うようになり、中部イタリアの小さな小さな街に行きました。

 それは、イタリア人すら存在を知らないような小さな街で、中世のまま時間が

そのまま止まったような……。 街全体が一つの文化財として、貴重な初期ルネサンス美術を象徴する宝石箱として、保存され、時間の流れからそのままとり残されているような、まるで夢の中にあるような、とても美しい都市でした……。

 ただ、体の中で、何かが足りない、かもしれない…と感じるものがありました。

 それが何なのかはわからないけれど……。

 

 その感覚は、日本もこんなに美しいんだということを伝えたくて、ポーランドや

アルゼンチンの年上の友人たちに、明日香のとても美しい田園風景の写真を

見せた時にも少しわき起こりました…。

「そんなの知ってる。京都にも奈良にも行ったことはあるのだから」と、これも冷然と

言い放つ口調でした…。

 

 その時感じたおぼろげな違和感の答えをつかめないまま、わたしは日本に帰って

きて、それからずっと考えていました。

 風景というものは、果たして見たまま、それだけのものなのだろうか…。

 行って、体験して知っているからもうそれ以上はいいや、という、そういうことで

終わるのだろうか…と。

 

 もやもやした気持ちをずっと抱えたまま、電車に乗っていた時、大山崎のあたりに

さしかかりました。

 わたしは、「あっ」と声を上げて、その場に立ちすくみました。

 イタリアで見た、ウンブリア地方の、あの独特の地形、低山がおだやかに連なり、

まわりを囲むなだらかな山なみにそって、小さな城塞都市(castelluccio)が、まるで砂糖菓子のように空の中にぽつんとうかぶ様子、オリーブのような灰緑色の低木が連なる小さな林が、その場にあると思えたからです。

 電車が通過するまでの、ほんの一瞬の出来事でしたが、わたしはイタリアで何度もスケッチし、街に到着したその日からずっと魅了され、描き続けた風景が目の前に

広がっていることにおどろき、涙がじわっとにじみそうになりました…。

 

 その時、言葉にならない何かが心の中にすっと広がっていったような気が

しました…。

 はっきりと答えになるかどうかはわからないけれど、それまでずっと引きずっていた心のもやもやを、少し解きほぐしてくれるんじゃないかと思える何かを…。

 その日感じた何かをはっきりとつかみたくて、それから、がむしゃらに、いろいろな

場所の風景とそれに触れた時の自分の心の中の感覚を求めて写真を撮り続けて

きた気がしています。

 

 いろいろな場所を訪ねて歩く時、まるで子供の頃に戻ったような不思議な感覚に

なることがあります。

 たとえば、京都や奈良の神社の中を歩いているのに、まるで古代中国の洛陽の

宮中に作られた庭園の中を歩いているような錯覚にとらわれたり、鼻や手足が

欠けてなお、神々しく気高い仏像の姿に、ガンダーラやシェリムアップの砂に

閉ざされた遺跡の中で像と向き合っているような感じがしたり……。

 にわか雪の吹雪が一瞬やんだ時の不思議な、ぬけるようなエメラルドグリーンの

空と一面白に包まれた木立の姿に、フィンランドの森と湖が脳裏に浮かんできたり、大覚寺の池の美しい水面の水鏡と、遠くに見える古いお堂の情景に、ドビュッシーの「水の反映」が心の中で流れ、モネの描いた睡蓮の池の繊細で透明な中間色の

光の遷移がそこにそのまま映し出されているように感じたり……。

 

 またその逆のこともあって、明日香や美山の美しい農村風景の中を歩いている時、自分が西洋からの旅行者になって、数百年前のおだやかで神秘的な「ジャパン」

という異国の地を踏んでいるような、そんな錯覚にとらわれることもあります…。

 

 それは、子供の頃、花壇や神社で遊んでいて、偶然見つけた彫像や細かい装飾

から、インドや古代ローマやロココを思い描いて、空想上の旅をして遊んでいた時とどこか似た、心たのしい感覚でした…。

 

 イタロ・カルヴィーノの小説に「見えない都市」という作品があります。

 東方の国々との貿易を求めて旅に出たマルコ・ポーロがモンゴルの皇帝、

クビライに乞われるままに、これまで旅をして見てきた様々な都市の姿や、そこに

住む人々について語り始める…という物語なのですが……。

 そこで語られる都市は、幻想の色合いが強く、空想上の動物や、伝説で語られて

きて名だけ知られている都市なども登場し、ほとんど全てはマルコの想像力が

生み出した産物なのですが、老境に達したクビライもそれは十分承知しながら、

見知らぬ国から来た若者の語る不思議な物語に耳を傾ける、という不思議な

お話でした…。

 

 思うに、風景というものは、ただ現地に行って実際に目にしてそれで終わり、

というものではなくて、見てからも何度も、自分自身の体験とともに心の中で回想し、少しずつ形をととのえ、作られていくのかもしれません…。

 その過程で、自分自身の憧れやこれまで見てきたもの、視覚の体験、自分自身の歴史や夢や想像力といったものと混ぜ合わされながら、次第にオリジナルの

ものとして醸成していくものなのではないでしょうか……。

 

 そして、日本にある様々な異国の情緒と雰囲気をもった風景や、そこに

置かれている物も、やはり「精魂込めて育てられてきた」それはそれとして、一つの

リアリティを持っているのではないかと思うのです。

 たとえそれが「本物の夢を見るにせもの」に他ならないとしても……。

 もしもその一つ一つが見る夢が、それを作った人たちの夢やおさな心やあこがれを孕んだ、切実なものであったとしたら。

 それらの見る夢もまた、歳月や歴史を経て、徐々にそのリアリティを備え始め、

いつかは一つの本物となりうるのではないでしょうか…??

 

 たとえば、白鳳時代や平安時代に作られた寺院や庭園に足を踏み入れる時、

一瞬にして、別世界に来たような感覚にとらわれることがあります。

 古代の中国の王朝や、台湾やベトナムの古い寺院に来たような感覚、あるいは

実在も存在もたことがない、架空の空想上のどこかの土地に、もしかしたら

あったかもしれない、不思議な別の空気をそなえた空間が急に広がって、時や

空間をたった一歩で越えてしまったような、不思議な錯覚に陥ることがあります…。

 

 それはきっと、当時の人々の理想としていた世界で、まだ行ったことはないけれど美術や物語や工芸品を通して想像し、思い描いていた美しい異国の風景や、

極楽浄土の様子を、自分たちの知りうる知識の断片を集めて、美しく再構築したからなんじゃないかと思います。

 その国固有の、その国の風土と文化が自然に生んだ、完全にオリジナルのもの、

というものは実はどこにも存在しなくて、もしかしたら、そういった人々の想像力や

夢や憧れがこれまでにない新しい様式、新しい意匠を生み、それが次の世代へ

受け継がれてゆくのかもしれません…。

 

 そうだとしたら、わたしたちの身近に、なにげなく映る風景や街も、マルコ・ポーロの思い描いた幻想の都市たちと同じように、夢を見続ける物たちの作り出す

蜃気楼のように、それぞれの想像力の中で生き、呼吸しつづけているのかも

しれません…。

 

 10.Agosto.

 

 

 

 

 

 

 

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