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Klavier sonate pathétique:

「悲愴」

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Klaviersonate Nr. 8 c-Moll "Grande Sonate pathétique"

    Pf. Bruno Leonaldo Gelber

ピアノソナタ第8番ハ短調作品13 『大ソナタ悲愴』

「悲愴」  Klaviersonate "pathétique"                    COROMICO

   (「再出発への道」 前編) Il sentiero per la nuova partenza  (prima parte)   

 

 「いつの世にも喜びと悲しみは共にある

 喜びの時には敬虔に。 悲しみの時には勇気を持って。」

                (ローベルト・シューマン 『ダヴィッド同盟舞曲集』序文)
 

 

 「けっこう長く続けているみたいだけど、スランプに陥ったことはあるの」、と

つい最近、親しくしている人に聞かれてどきっとしました。

 

 実は子供の頃からものすごく打たれ弱い性格で、人から何か言われたり、

やっかみや嫉妬から意地悪やちょっとしたいやがらせをされただけで、もう

そのことができなくなってしまう部分があって、ずっとそのことで悩んできました。
 一つのことに打ち込むと、もうそれだけを見て猪突猛進に突き進むタイプ

なので、一点に集中すると、わりと短期間にそのことだけはできるのですが、

その分すごく脆い部分もあって、ちょっとした何かがあっただけで、急に、もう一切その才能は使えなくなってしまうという変な癖があります。

 

 そのために、これまで打ち込んできたこともどうしても何もできなくなって、

その道を断念せざるを得なくなったことが何度もあります…。

 それでも写真については人から何か言われても、その言葉を跳ね返すことが

できるように負けずにがんばってきたのですが、つい最近、それでも

はじき返せないくらいにしんどいことがあって、挫けそうになっていました…。

 

 きっかけは、あるカフェの方にお仕事を頼まれたことでした。
 わたしのポストカードを見てくださってとても素晴らしいと思ったので、ぜひ

メニューやホームページにのせる写真を撮ってほしいと言われました。
 「食べ物の写真などは撮ったことがありませんし、まだまだ勉強中ですので」

遠慮したのですが、とても困っているので、失敗してもいいからぜひ、と

おっしゃるお言葉に、「それなら無料で、できる限りのことはさせていただきます」

とお返事しました。
 その方も「それはとんでもない、あまりたくさんというわけにはいきませんが、

お礼はさせていただきますので」とおっしゃって下さいました。

 

 ところが…、お仕事をお受けするということが決まり、撮影を終えて帰る頃に

なって、急にその方の態度が変わり始めたのです。
「好きな仕事をさせてもらっているのだから、自分とも話しながら、もっと愛想よく、笑顔で楽しそうに撮影できないのか」とおっしゃり、わたしのポストカードや写真について急にひどくけなし始め、最後には「あなたの写真のことは実は私は

評価していないんだけれども」という言葉まで飛び出しました…。
そして、渡された金額は、法令で定められた、アルバイトなどの最低賃金よりも

はるかに低い額でした…。


 あまりのことにひどく驚き、何が起こったのかわからないまま、自分がどこを

歩いているのかわからないような気分でふらふらしながら家に着きました。
 もう何も食べる気が起こらず、朝から出ていた咳は悪化してほとんど何も

飲み込めないようになり、口の中は地獄のような味がしました…。

 

 後で聞くと、最低の金額で交渉をとりまとめるために、相手の作っているものなどをけなすということは、ビジネスの世界ではよくあることだったようです……。
 法律関係などに少し詳しい人に相談すると、まだ若くて世間知らずで

経験もないので、安上がりに何でも言いつけられる便利な素人のようなものだと思って軽く見られたのではないか、ということでした…。
 

 淡々とした口調で語られる説明を聞いている間にも、どんどん暗澹とした気分になってきて、膝ががくがくして立っていられないような気がしてきました。

 そんなことのために、自分は、心血を注いで自分の表現を磨き上げようと

努力してきたのか、と……。
 どんなに心を込めて、一生懸命自分の感じたことに命をこめようとして力を

尽くしてやってきても、今回のように、ただ安上がりで便利に使い回せる

対象としてしか見られないのであれば、自分がこれまでしてきたことに一体

どんな意味があったのか、と……。

 

 そのことがあってから、すっかり怖くなってしまい、撮影にも出られない日が

続いていました…。
 食べ物もほとんど水くらいしかのどを通らず、カメラに触れることすら怖くなってしまい、見るのもつらくて、自分の目の届かないところに隠してしまいました…。
 特に心を刺したのは、あの時オーナーの方が軽い口調で言った、「あなたの

写真については評価していない」という言葉でした。
 

 今となっては悪意があったのかそれとも本心だったのかはわかりません…。
 でも、本人に対して、面と向かってそう言うということは、どれほどひどく見えて

いるのだろうか、そんなことを言っても平気でいられるほどわたしの写真は

ひどいのだろうか、と真剣に悩み、そんな風に思われるくらいなら、今ある

ポストカードを全て破棄して、もう何もかもやめてしまおうとさえ思いました。
 良識のあるいい方だと思っていただけに、その衝撃は大きくて、立ち直れない日々が続いていました…。

 

 そんな時、心にある思い出がよみがえってきて、わたしの心を救ってくれました。
 
数年前、ベートーヴェンの演奏で有名なピアニストの、ブルーノ・レオナルド・

ゲルバーさんが日本に来られた時のことでした。

 たまたま電車に乗っていた時、愛知県のある町で彼のピアノのリサイタルと、

ピアノのマスタークラスの公開レッスンが行われると聞いて、すっかり興奮して

会場に向かったのですが、その時のことは忘れられません…。

 

 会場となっていたのは、市の小さな小さな公民館の会議室で、入り口には

かすれた毛筆の字で「ようこそ 世界的ピアニスト、ゲルバーさん!」と書いて

ありました…。
 中にはパイプ椅子が20脚くらい並べてあり、用意されていたのは、グランド・

ピアノではなく、鍵盤の幅の少ない小さな電子ピアノでした。
 無料です、という言葉に半信半疑のまま会場に入り、少し待っているとやがて

ゲルバーさんが現れました。
 会場にはご年配の方たちが何が催されるのかよくわからないままつめかけ、

飲食禁止という注意事項も徹底していないのか、部屋の中にはコーヒーと

おせんべいのにおいが充満していました。

 

 そんな雰囲気の中、行われたゲルバーさんのレッスンは、しかし、本当に

驚くべきものでした…。
 彼がひとたび、その鋭い目を向け、体を乗り出すような勢いで音大生の方へ

向き直ると会場の空気は一変しました。
 

 演奏、指導されたのは、ベートーヴェンのピアノソナタ、「悲愴」と「月光」、そして「熱情」でした。
 というか、その予定、だったのですが、実際は指導に熱が入りすぎて、

3時間を越える、力強いぶっ通しのレッスンの中で、行き着くことができたのは

「悲愴」の第一楽章の終わりまででした…。
 休憩もなく、息つく間もなく行われる熱気のこもったレッスンが終わる頃には、

ご年配の方たちも質問する気力もなく、ぐったりと、「死ぬかと思った」と口々に

いいながら、ふらふらとした足取りで出て行かれました。
 そして、公民館の約束の時間の5時を過ぎても「まだ全然終わっていない!」と

熱のこもった指導を続けようとしていたゲルバーさんは、最後は警備員の

人たちに追い立てられるようにしてその場を後にしました…。

 

 ご年配の方たちが「やれやれ」という顔をして続々と席を立っていく中で、わたしは震えながら立ち上がり、すっかり追い立てられそうになっていたゲルバーさんに話しかけました。
 彼の母国、アルゼンチンのスペイン語はわからなかったので、イタリア語で

自分の気持ちを伝えると、顔をくしゃくしゃにしてすごい笑顔で、メッセージと

サインを書いてくれました…。

 

 昔の学校にあったような古びた電子ピアノで、おまけにB♭の音がうまく出ない、ひどく悪い状況ではあったのですが、ベートーヴェンのピアノソナタにかける

ゲルバーさんの深くて激しい情熱、自分の魂と全生涯、全生活をかけて、精神のぎりぎりのところまで自分を追いつめて、その曲とひたすら向き合う姿勢、そこからにじみ出してくる、抑えきれない迫力と偉大さに、すっかり圧倒されました…。
 後で聞いた話ですが、どうしてあの小さな公民館での依頼を受けたのかと

質問されたゲルバーさんはこう答えたそうです。
「日本は今、大きな震災の後で、そのような大きな心の傷を受けた人々の心には、心を震わせる大きな芸術の力が必要なのです。たとえ今すぐには

届かなくても、表現に全力を捧げ、その息吹をいくばくかでも伝えたいと

思っているのです」と…。

 

 カフェでの出来事にひどい衝撃を受けてふさぎこんでいた時に、数年前のその出来事がふと心によみがえってきて、わたしを励ましてくれました…。
 ゲルバーさんのような偉大なピアニストでさえ、パイプ椅子と、小さな古びた

公民館の会議室と、壊れた電子ピアノという、あんなひどい状況に置かれても、

決して腹を立てたり絶望することなく、全身全霊を込めて、自分がこれまで

打ち込んできたベートーヴェンに対する献身と労力の全てを惜しげもなく

差し出し、その全てを遺憾なく発揮し、表現に全てを込めて爆発させるのだ、と……。
 そして、その素晴らしさは、どのようなひどい状況に置かれても少しも

損なわれない……。


 だとしたら、自分もまた、このような経験にめげずに、どんな状況に置かれても全力を尽くして自分の表現を追求していくべきではないだろうか……。
 たとえ全員ではなくても、一分の妥協もなく、全身全霊を込めて差し出された

表現に心打たれ、生涯にわたる影響を与えられる人だっているのだから……と。

 

 奇しくも、出展が決まったアートフリーマーケットの日が間近に迫っていました。
 それまですっかりうちひしがれていたわたしは、出る自信がなく、キャンセルして

家でねていようかと思っていました。


 でも、ゲルバーさんのことを思い出したわたしは、思い直して、再び準備を

始めました…。

 このような出来事に屈して投げ出してしまうのではなく、全身全霊を込めて

自分の表現をしていくことで、そういった人間の矮小な意図や損得勘定や、

侮辱や否定のようなものを本当の意味で乗り越え、数年後このことをふと

思い出した時にも、笑って語れるのではないかと思ったからです……。

“Ich grolle nicht” (Dichterliebe Op.48)

  Heinrich Heine / Robert Schumann Tn.  Ian Bostridge

「僕は恨んでいない」 (『詩人の恋』)

 ハインリヒ・ハイネ / ローベルト・シューマン

“Ich grolle nicht”

 

Ich grolle nicht,und wenn das Herz auch bricht,
Ewig verlor'nes Lieb! Ewig verlor'nes Lieb!
Ich grolle nicht. Ich grolle nicht.
Wie du auch strahlst in Diamantenpracht,
Es fällt kein Strahl in deines Herzens Nacht.
Das weiß ich längst.

Ich grolle nicht,und wenn das Herz auch bricht,
Ich sah dich ja im Traume,
Und sah die Nacht in deines Herzens Raume,
Und sah die Schlang',die dir am Herzen frißt,
Ich sah,mein Lieb,wie sehr du elend bist.
Ich grolle nicht,Ich grolle nicht.

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