Francesco Petrarca: da R.V.F.
フランチェスコ・ペトラルカ 「カンツォニエーレ」より
このページでは、COROMICOが研究する、14世紀イタリアを代表する詩人、
フランチェスコ・ペトラルカの「カンツォニエーレ」からいくつか選んで訳していきます。
中世から人文主義の目覚めの時代にあって、初めて詩の世界で自意識というものとじっくり向き合って、言葉とともに自らのイメージを構築していくようになりはじめた時代の、最初の初々しい輝きを訳の方にも反映できたら、と思っています。
1.
Voi ch'ascoltate in rime sparse il suono
di quei sospiri ond'io nudriva 'l core
in sul mio primo giovenile errore
quand'era in parte altr'uom da quel ch'i' sono,
del vario stile in ch'io piango et ragiono
fra le vane speranze e 'l van dolore,
ove sia chi per prova intenda amore,
spero trovar pietà, nonché perdono.
Ma ben veggio or sì come al popol tutto
favola fui gran tempo, onde sovente
di me mesdesmo meco mi vergogno;
et del mio vaneggiar vergogna è 'l frutto,
e 'l pentersi, e 'l conoscer chiaramente
che quanto piace al mondo è breve sogno.
1.
断片的な詩の中に
長い間、心に抱いてきたため息の調べを聞いてくれる人よ
私がある意味別人のようだった頃の
初めての若い過ちの中で
私が涙を流し語ってきたさまざまな文体の
はかない希望とはかない悲しみの間の中に
愛というものを体験を通して理解してくれる人がいて、
許してくれるだけでなく、できれば同情も寄せてほしいと願っている
しかし今ではよくわかっている そのことが
人々の間で長い間噂になっていたことを
そして何度も私自身とともに、自分のことを恥じた
でも私が熱にうかされていたことの行き着く先は羞恥に終わり、
そのことを後悔し、今でははっきりと悟るようになった
世の中で愛されていることはみな短い夢なのだと
"Voi ch'ascoltate"
Poesia: Francesco Petrarca/musica:Sigismondo D'India
da "Libro terzo a una e due voci", Milano 1618
Ms. Gloria Banditelli
"Voi ch'ascoltate"
Poesia: Francesco Petrarca/musica:Claudio Monteverdi
da "Selva Morale e Spirituale”
Ensemble Vocale Ricercare
「カンツォニエーレ」 COROMICO
同じこの詩に作曲された、ディンディアとモンテヴェルディによる二つの曲を並べて聴いてみると、面白いと思います。
二人は同じイタリアで同時代に活躍した作曲家なのですが、中世的な色合いが強いディンディアの音楽が、まるで百人一首を節をつけて読み上げているように詩中心なのに対し、非常に明るく色彩的なモンテヴェルディの音楽は、もっと多彩で交響楽的です。
それは、必ずしも詩の世界観に忠実なのでなく、あえて音楽と詩と異なったものをぶつけることで、新たな表現の広がりを生み出そうとする大胆な試みをしているように思えます。
この詩の内容としては、フランチェスコ・ペトラルカというイタリアを代表する詩人で初期ルネサンスを代表する人文学者の詩集、「カンツォニエーレ」(正式名称は「俗語による断片的な詩集」(Rerum Vulgarium Fragmenta)の冒頭を飾る詩です。
ダンテの「神曲」(Divina Commedia)とペトラルカのこの「カンツォニエーレ」によって、イタリア語の書き言葉としての基礎が形成されたといわれる、とても重要な作品なのですが、言葉自体は、語彙が限定され、特殊な単語や雑多な言葉遣いが排除された、ある意味では「単純な」(“monolingua” cf.Gianfranco Contini)言語を使って書かれているため、言葉さえわかれば現代でも十分に読みやすい作品になっています。
個人的な感想を言うと、ペトラルカがこの詩で使っている言葉は、イタリア語でありながら、現代のイタリアで話されているイタリア語のニュアンスとはだいぶ違っていて、どちらかというと、ペトラルカしか用いえない、イタリア語に極めてよく似た、しかし全く異なる、不思議な別世界の言葉のような印象を受けます。
そこでは、現代でも十分ふつうに使われる平易な単語や、特殊でないわかりやすい言葉が用いられながらも、その言葉一つ一つに凝縮させられたイメージや世界観の広がりが非常に大きくて、全部366編あるこの詩集を読み進めていくうちに徐々に、その中に構築された独自の世界にからめとられていくような錯覚に襲われます。
それは、極めて綿密に練られた詩集自体の構成と、詩集の中で進行していく年代記的な物語(詩人がラウラに寄せる叶わぬ愛と、彼女の死に寄せる物語)、そして限りなく彫琢され、限定され、選び抜かれたいくつかの言葉によって、一つ一つのイメージが物語に組み込まれ、高められ、一種の天上的なものにまで昇華させられているからだと言えるでしょう。
そこには、人間的な愛や感情や愛着のようなものはみな、「肉」に属するもので、俗悪で脆く、過ぎ去るものであり、天上的なよいものとは絶対的に異なるという、苛烈な二項対立が主なるイデオロギーであった中世にあって、ささやかながらの抵抗を開始し、それまで雑多なものとして見下されてきた、人間的な愛や一人の芸術家としての名声を求める心や表現の徹底した追求のようなものに価値を与え、天上的なものへできれば高めたい、というような、ペトラルカ自身の切実な思いが反映されているように思えます。
そしてそれは、一篇の詩だけで完結させられうるものではなくて、物語のように緻密に張り巡らされたいくつもの詩を集合体として提示することによって、はじめて、一つ一つの言葉、一つ一つのイメージ、そこに込められた神話や歴史的事実や哲学などの物語を通して、自分の作り出したイメージの集合体として、ある種、別のものとして表現していくことを可能にしているのかもしれません。
このソネットはそういった、ペトラルカがこれから366篇の詩を通して作り出していく小さな宇宙の始まりを飾る、大切な作品と言えるでしょう。
そこには、これからそれを手にとって読んでくれる読者に対してのメッセージと宣言があり、愛というものを体験を通して理解する人は、自分の気持ちを想像し、熱に浮かされた醜い過ちだと言ってとがめずに理解をしめしてほしいと訴えています。
134
Pace non trovo, et non ò da far guerra;
e temo, et spero; et ardo, et son un ghiaccio;
et volo sopra 'l cielo, et giaccio in terra;
et nulla stringo, et tutto 'l mondo abbraccio.
Tal m'à in pregion, che non m'apre né serra,
né per suo mi riten né scioglie il laccio;
et non m'ancide Amore, et non mi sferra,
né mi vuol vivo, né mi trae d'impaccio.
Veggio senza occhi, et non ò lingua et grido;
et bramo di perir, et cheggio aita;
et ò in odio me stesso, et amo altrui.
Pascomi di dolor, piangendo rido;
egualmente mi spiace morte et vita:
in questo stato son, donna, per voi.
134
平和な心が得られない それなのに戦いを挑む気力もない
私は恐れ、そして希望を抱く 心は燃え、同時に凍り付く
心は天上を翔けているのに、体は地面に横たわる
何も得ることができないのに、世界を抱きしめたいと願う
このように私は開きも閉じもしない牢獄に捕らわれの身となり、
それは彼女のもとに私を留めもしないが、かといって自由の身にもしてくれない
恋(アモール)は私を殺しもしないが、解き放ちもしない
彼は私が生きることを願いもせず、かといって私を救ってくれることもない
瞳を持っていないのに物が見え、舌を持っていないのに泣き叫ぶ
自分が滅びることを願いながらも、助けを求めている
そして自分自身のことすら忘れ、あの人のことを愛している
悲しみのうちにわが身を養い、涙を流し、かつ笑う
生きることも死ぬことも私にとっては同じように煩わしい
こんな状態になってしまったのは、愛する人よ、あなたのためなのだ
3 Sonetti del Petrarca No.104 "Pace non trovo"
musica:Franz Liszt da "Les Années de Pèlerinage"
Pf. Claudio Arrau
「Pace non trovo」 COROMICO
「平和な心が得られない」で始まるこの有名なソネットは、ある意味、ペトラルカの心情の表現の特徴や世界観を代表するような作品としてよく知られているのですが、実は個人的にもとても好きな作品でもあります。
「心は燃え、同時に凍り付く」(ardendo ghiaccio)のような、対義語が連続するアンヴィヴァレントな、ある意味誇張的な表現というのが、彼の好む表現の特徴とされ、ある意味、揶揄の対象となったりもするのですが、実際に、彼が1番のソネットで哀願していたように、「恋」というものを「体験を通して想像してみる」と、あながち誇張表現でもないのかな、ということに最近気づきました…。
特に「私は恐れ、そして希望を抱く」(e temo, et spero)のような心境は、苦しい片思いをしている時には、誰でも抱く思いではないでしょうか…。
「その牢獄は彼女のもとに私を留めもしないが、かといって自由の身にもしてくれない」という表現も同様で、これはリアルに解釈すれば、好きな人が自分の思いを受け入れてもくれないけれども、かといって自分の希望を木っ端みじんに打ち砕いて完全に拒否するわけでもない、という状況のように思えます。
だからこそ、「アモール(恋)は私を殺しもしないが、解き放ちもしない」とあるように、彼女への思いが受け入れられることはないのに、完璧に拒絶されてあきらめざるを得ない状況になるわけではないので、なかなか断ち切ることができないのだと思います。
そして、第一節に語られる美しい表現、「心は天上を翔けているのに、体は地面に横たわる」とか「何も得ることができないのに、世界を抱きしめたいと願う」という心境は、とても卑近な例におろして考えてみると、たとえば「離れたところにいる恋人に今すぐ会いに行きたいのに、現実には色々な事情があって会いにいくことができない」とか「どうしてもあきらめきれない夢があって、想像の中では全てをつかんでいたのに、覚めてみると何もつかむことができない」と翻訳して直してみると、すごくリアルに身近なことのように感じられます…。
不可能なことなのに、それを望まずにはいられなくて、葛藤するあまり、心が二つに引き裂かれるようにつらい状態を表現しようと思ったら、ただの文章上の表現だとか誇張とかではなく、リアルな心境として、こんな感情になることもあるのではないでしょうか…。特に、強い望みを抱いても、何らかの事情があってそれをどうしてもかなえられない、かなえるわけにはいかない、願うことが許されていない(倫理的な理由などで)場合には、その葛藤はさらに激しくなるだろうと思います。
ここで語られている、詩人の恋する相手というのは、ラウラというアヴィニョンに住む貴族の娘で、23歳で彼が出会った時にはすでに土地の有力な貴族と結婚していました。(諸説ありますが、小説家として有名なマルキ・ド・サドの先祖のサド家であるという説も有力です)
当時、既婚の女性との恋愛は、「姦淫」として宗教的にも厳しく裁かれ、また社会的にも名誉を汚す行為として、城主自ら、女性も、そして彼女のもとへ通う男性もただちに殺害して罰することが当然の時代で、事実、そういった実例は数え切れないほどありました。
また、ペトラルカはアヴィニョンの教皇庁に仕える聖職者でもありましたので身分的な意味でも社会的な意味でも、貴族の奥方であるラウラに思いを寄せることは決して許されない不可能なことでした。
しかしながら、当時、そういった身分の高い貴婦人に思いを寄せて、かなうことのない不可能な恋をすることが、現実的にはかなわないゆえに純粋で、完全に精神的で高貴な愛「(finamor)であるという思潮が生まれ、主に南フランスのトルヴァドゥール(吟唱詩人)やイタリアのシチリア派、そしてダンテなどの属する清新体派(dolce stile nuovo)などに影響を与えながら、叙情詩の一つの典型的な型として文学の世界を席巻している状況にありました。
当時の社会状況などを考えると、身分違いの貴婦人と詩人の不義の恋というものは、現実的にはほとんど不可能でありながら、文学の世界ではすでに常套的な表現として定着していた当時には、その関係が、既婚の、市民階級の女性と詩人、という風により身近で可能性のある形に置き換えられたり、(ダンテの「新生」などはそうですね)または、聖母マリアと詩人というように、倫理に反しない、より宗教的な形に置き換えられたりしながら存続していました。
そのような状況にあって、詩人と、身分の高い既婚の貴婦人という、ある意味、トルヴァドゥールが「高貴な愛」の概念を歌い始めた頃の状況にこの概念を置き戻して、もう一度不可能であるがゆえの極端な葛藤や、望み得ない状況であるがゆえにもたらされる苦悩や強い喜びを表現しようとしたペトラルカは、すでに定式化していたこの叙情詩の形に、新たにリアリティと生々しい感情を吹き込んだと言えるかもしれません。
「自分自身のことすら忘れ、あの人のことを愛している」というような美しい表現は、同時に恋する人間のリアルな心情の率直な告白のようにわたしたちの心にも響き、単なる文学的定式の美しい表現としてでなく、たとえ倫理に反する恋であっても思わずにはいられない、極めて人間的で生々しい愛の思いを、はじめて文学の形にしたと言えるのではないでしょうか…。
それは、激しい苦悩の表現のようでいて、決してかなうことを望み得ないがゆえに心はますます燃え上がるという極端な状況で、その思いは息がとまりそうになるほど切実で、同時に甘美なのだと訴えているような気がしてきます…。
そんな表現を見ていると、14世紀の作品でありながら、何だかロマン派の詩や音楽を見ているようで、とても不思議な気持ちになります。
事実、ペトラルカの後に「ペトラルカ主義」(petrarchista)と呼ばれる、追随者、模倣者が数多く現れ、彼が文学の世界に与えた影響ははかり知れないものがありますが、彼らの作品を見てみても、ペトラルカの表現を表面的にまねてはいても、このようなロマン主義的な、大胆なまでの人間的な情緒への耽溺と讃美というものは、他の同時代の作家には決して見ることはできません。
そういった意味でも、ペトラルカは、時代を何世紀も先取りした、最初の近代人ではないかと思えてなりません。
Voi che sapete:(La nozze di Figaro)
Lorenzo da Ponte
Voi che sapete che cosa e amor,
donne, vedete, s'io l'ho nel cor,
Quello ch'io provo, vi ridiro,
É per me nuovo capir nol so.
Sento un affetto pien di desir,
ch'ora e diletto, ch'ora e martir.
Gelo e poi sento l'alma avvampar,
e in un momento torno a gelar.
Ricerco un bene fuori di me,
non so chi il tiene, non so cos' e.
Sospiro e gemo senza voler,
palpito e tremo senza saper,
Non trovo pace notte ne di,
ma pur mi piace languir cosi.
Voi, che sapete che cosa e amor
donne, vedete, s'io l'ho nel cor.
「恋というものがどういうものかを」
(「フィガロの結婚」:ケルビーノのアリア) ロレンツォ・ダ・ポンテ
恋というものはどういうものかをご存じの皆様、
女性の方たち、どうか見て下さい 僕の心にそれがあるのかを
僕が感じているものをそのままみなさんに伝えます
まだそれはなじみのないものなので僕にはよくわからないんです
憧れに満ちたふしぎな感情を感じます
それは時には喜び、時には苦しみに変わり、
心は凍りつき、そして燃え上がり、
そして一瞬にしてまた氷にもどります
僕の心の外に何かよいものがあるのかを探ってみますが
誰が、そして何が僕の心をこんなにもとらえているのかもわからず、
望んでいないのに僕はため息をつき、うめき
自分でもわからないうちに心臓はドキドキとして震えます
昼も夜も心が落ち着くことはなく、
でもそんなふうに苦しむことが僕にとっては心地よいのです
恋というものがどういうものかをごぞんじの皆様、
女性のみなさん、どうか見て下さい 僕の心にそれがあるのかを
Voi che sapete:
La nozze di Figaro: Wolfgang Amadeus Mozart
Ct. Filippe Jaroussky
「恋というものがどういうものか」
(「フィガロの結婚」):ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
「恋というものはどういうものかを」 COROMICO
モーツァルトの「フィガロの結婚」に出てくる有名なアリアに「恋というものはどういうものかを」(Voi che sapete)があります。
実はこれは、歌詞をよく見てみるとペトラルカの詩ととても関連が深いことがわかります。
まず、冒頭の「Voi che sapete」は明らかにペトラルカのカンツォニエーレ、第1番、冒頭の「Voi ch'ascoltate」を意識して作られていますし、ケルビーノが歌の中で訴える様々な恋の症状は、その両極端への変化に富んだ矛盾した状況といい、自分自身を忘れてわからなくなる恋の情愛にしても、まさしくペトラルカの詩の特徴を端的にとらえているといっても過言ではなく、中でも先ほどあげた135の「Pace non trovo」(平和な心が得られない)をライトモチーフにしているといってもよいと思います。
劇中では、まだ若い小姓のケルビーノが身分の高い伯爵夫人の恋の相手をつとめているという設定で、これは中世から文学的表現の定石となっていた、「身分の高い貴婦人へのかなわぬ愛」(宮廷風恋愛)という設定をそのまま踏襲した形になります。
そして彼が感じる恋のときめきを歌うアリアの恋の定義は、当時これもまた文学的な伝統においては定番中の定番とされていたペトラルカの愛の概念を使っていることから、これは、そんなある意味マンネリ化した、過ぎた世の宮廷風恋愛のパロディを作って笑っている歌のようにも思えます。
「フィガロの結婚」の脚本を手がけたロレンツォ・ダ・ポンテはもちろん宮廷にも出入りしている、いわゆる当時の万能人的な教養人で、同時に、「ドン・ジョヴァンニ」は色好みだった彼自身の姿を投影したと言われているほど恋愛に対して堪能な人で、まさに「恋というものがどういうものかを」概念ではなく体験によってよく知っていた人だと言えます。
そんなロレンツォにとって、もちろん同じイタリアの詩人、ペトラルカの「愛の概念」というものは、非常に親しく、空気のように当たり前の存在としてしみついていて、同時に300年以上前には新鮮だったこの概念が今では形骸化しつつあること、もう貴族階級の間のしゃれた会話や遊びや地口のようになってしまっているもろさも同時に知っていたに違いありません。
この後、ストーリーは貴族階級でなく、たくましい庶民のフィガロの恋愛をモチーフに展開していくわけですから、冒頭でそういった貴族社会でもう何百年も繰り返されてきた定番的な概念をやや冷笑的に提示しておいて、その後の対照をなす、フィガロの生き生きしたリアルな姿を描き出そうという試みなのかもしれません。
それでも、現代を生きるわれわれ――ケルビーノや伯爵夫人の側よりもフィガロの立場の方が当然となってしまったわたしたちにとっては――、むしろ遠く隔てられた時代の恋の思いの目覚めをうたうこのケルビーノのアリアがなぜか妙に新鮮に、リアルに感じられる気がするのはなぜでしょうか…。
というのは、この歌を聴いていると、ぼんやりと心によみがえってくる光景があるからです…。
とてもはずかしい思い出ですが、中学校の頃、初めて同級生の男の子を好きになった頃、妹の部屋に行ってそのことを相談しました。
お風呂上がりのパジャマ姿のままで、ベッドのはしに腰掛けて話していたのですが、わたしが最近自分がおかしいみたいだ、と言うと、妹はベッドの周りにたくさん積んであった少女漫画の雑誌を出してきてこう言いました。
「彼のことを考えると心臓がどきどきする? 近くで彼を見ると体が熱くなったり緊張しすぎて冷や汗が出たりする? 気がつかない間にすごくぼうっとして彼のことばかり考えている? ため息ばかりついてごはんも食べれなくて夜もねむれない? …それだったら絶対そうだよ」と。
今となっては少女漫画の中でも当たり前で、10代の女子だったら誰でも知っているような恋の症状というものを、17世紀のオペラの中で、ケルビーノもごく当たり前のように歌っているということが何だかおかしくて、くすぐったいような気持ちになります。
中学生だったわたしが、妹としていたような会話を、モーツァルトのオペラに出てくる彼もまた貴婦人を相手に同じようなことをしゃべっているのかと思うと何だかふしぎな思いがしてきます…。
そしてそれは、この時代に始まったことではなく、すでに14世紀のイタリアで、ペトラルカという詩人がはじめて詩の表現として、リアルな恋愛の感情や身体的な症状を描き始めていたということも……。
だから現代のわたしたちがそれを読んでもすっと理解できて、ふつうに照れ笑いをしながら共感できるのかもしれません。
それは、まだ恋愛というものがリアルな感情や、身体的な様々な変化や症状をともなうものとして認知されることがなかった14世紀において、初めてそういった感情と向き合って、様々な文学的な伝統や当時の恋愛の概念とも葛藤しながら新たな表現を生み出していった詩人たちの努力の軌跡が、現在の「恋愛」の概念にまで跡をのこしているからかもしれません…。
35
Solo et pensoso i più deserti campi
vo mesurando a passi tardi et lenti,
et gli occhi porto per fuggire intenti
ove vestigio human l'arena stampi.
Altro schermo non trovo che mi scampi
dal manifesto accorger de le genti,
perché negli atti d'alegrezza spenti
di fuor si legge com'io dentro avampi:
sì ch'io mi credo omai che monti et piagge
et fiumi et selve sappian di che tempre
sia la mia vita, ch'è celata altrui.
Ma pur sì aspre vie né sì selvagge
cercar non so ch'Amor non venga sempre
ragionando con meco, et io co llui.
35
たった独りで思いに耽りながら人気のない野山を
疲れた遅い足取りで測るようにして歩いている
そして逃げ出そうという思いであちこちを見る
誰か人間のしるした足跡がどこかにないかと
自分をかくまえるような他によい場所が見つからない
群衆の中にいればはっきりと人々は気づいてしまうだろう
なぜなら行動からは陽気さが消え失せ、
外見からも、どんなに心が燃え上がっているかわかってしまうだろうから
だから、山々や野原や
川や森はすでに知っているだろう 私の人生の軌跡が
どんなものであったかを 人々には隠しているけれども
しかし、どんなに荒涼として険しくても
アモールがやって来られないような道を探すことはできないだろう
彼はいつも私とともにいて語りかけてくるし、私もまた彼と話しているから